黒田 泰蔵 TAIZO
アートの風
Vol.01
彫刻家重岡 建治
重岡先生のアトリエを訪問しました


伊豆高原の森の中に重岡先生のアトリエはあります。
お訪ねした日は表通りのアスファルトに陽炎が揺らめくほどの記録的な猛暑でしたが、
先生のアトリエの周りは深々とした緑の木々に囲まれ、所々に置かれた先生の作品が
まるでその場所に生息しているかのように佇んで私たちを出迎えてくれました。



アトリエはコンクリートの打ちっ放しで、大きな作品を作る為に2階の高い天井まで吹き抜けになっています。
木彫刻・ブロンズ像・絵画・・・一つ一つ珠玉に輝く先生の作品のパワーに圧倒されながらお話を伺いました。



伊豆高原とアート
先生が伊豆高原に移住して今年で24年目になるそうです。
移住してこられた年に「伊豆高原アートフェスティバル」がスタート。
第一回目から現在までその運営に携わっていらっしゃいます。
当時、伊豆高原以外の全国各地で
同じようなアートフェスティバルが企画されましたが
どれも4~5年くらいで終わってしまい、
24年も続いてなお進化しているのは珍しいのだそうです。
先生に「その秘訣は」とお尋ねすると、
「一回目の精神を参加する皆さんがブレずに守っているから。」とお答えでした。


そして、先生はこのフェスティバルに多くの人々が魅せられる理由として
「現代生活は昔に比べ快適で、豊かで、便利になってはいるけれど忙しすぎるよね。
皆ほんとに忙しい。だからほっと一息ついて立ち止まる時間が必要なんだろうね。」
「一つ一つが手作りで画一化されていない。作り手のオリジナリティも、受取り手のオリジナリティも大切にする…それがスローライフなんじゃないかな。」
「伊豆高原に暮らす人たちにはこのスローライフの精神があって、ここでしか食べられないパン、ここでしか買えない布や器。そういったオリジナリティ溢れる生活を大切にしているし、楽しんでいてとってもイタリア的。」
「僕はそうした伊豆高原の暮らしや雰囲気がとても気に入ってる。」とも。
「伊豆高原アートフェスティバル」は毎年5月の一ヶ月間、
自分たちの暮らす街で、自分たちだけの力で、子供からお年寄りまで
地元の人もプロもアマチュアもまったく自由に芸術を楽しむ「自由展覧会」。
エントリーしたおよそ100程のオープンギャラリーを自由に訪れることが出来ます。
先生のアトリエにも毎年わずか一ヶ月の期間中に
なんと2000人もの人が見学に訪れるのだそうです。


すべてが大地から生まれる
重岡先生は日本における数少ない著名な彫刻家であり、また世界的にご活躍されているのですが、お会いした印象はとても気さくで、温かくて、
今回の取材もほんとうにご親切に応対していただきました。
最後に畏れ多いことは十分承知の上で、70歳を過ぎてなお、こんなに力強く、次々に作品を創造される先生の芸術についてお聞きしました。



取材を終えて
このポジティブさとお優しさが先生の若さとパワーの秘密なのだと思いました。
どうか、益々お元気で素晴らしい作品を創作して下さい。
そして、忙しく時を駈ける現代の人々にほっと、立ち止まる機会を与え続けて下さい。
取材にご協力いただき有り難うございました。/tuki


彫刻家重岡 建治
1936年、旧満州ハルピンに生まれる。終戦後は日本に戻り、1958年、定時制高校を卒業後に圓鍔勝三に弟子入り。1961年に日展で入選を果たし、以後1970年まで9回入選する。1971年、エミリオ・グレコへ師事するためにローマの国立アカデミア美術学校へ留学。イタリアに4年半ほど滞在し彫刻を学ぶ。帰国後も「触っても壊れない彫刻」をコンセプトに製作を続け、日本国内のみならずスイス、イタリアなどを含め、総計100以上の作品が設置されている。用いる素材はブロンズ、大理石、木などさまざま。1971年以降は、賞を目指しての各種コンクールへの出品からは遠ざかり、個展に重点を置いて、現在も伊東市大室高原にある自身のアトリエにて精力的に活動中。
略歴 | 1936 | 旧満州ハルピン生まれ |
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1946 | 旧満州より山口県徳山市櫛ヶ浜に引き上げる | |
1958 | 静岡県立伊東高等学校卒業 彫刻家・圓鍔勝三に師事 | |
1961 | 日展初入選1970年まで9回入選 | |
1963 | 日彫展奨励賞『伊豆の農夫』 | |
1965 | 日彫展日彫賞『髪』 以後無所属 | |
1971 | ローマ国立アカデミア美術学校入学 エミリオ・グレコに師事 | |
1974 | 同校卒業。インターナショナルアカデミア美術展で 『ラウラの頭像』が金賞受賞。ディレーナ絵画館買い上げ |
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1977 | 伊東市制30周年記念モニュメント『家族』 以後、 全国各地に多数のモニュメント制作、設置 |
|
1978 | ダンテビエンナーレ展出品イタリア・ラベンナ『三ツの影』 | |
1979 | 池田20世紀美術館『池田チエ子像』 | |
1980 | 第一回高村光太郎大賞展佳作賞『受胎告知』 彫刻の森美術館 |
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1986 | 大阪市南港緑道彫刻公募で大賞『白鳥讃歌』 | |
1988 | 池田20世紀美術館にて個展「重岡建治の世界」、 帝国ホテルにて個展 |
|
1992より | JOC日本スポーツ大賞トロフィー | |
2008 | 三島市 県立三島長陵高等学校設置『創造』『夢』 | |
2008 | 北京市 北京オリンピック記念公園『家族』 |
主な受賞作 | 『伊豆の農夫』(日彫展奨励賞) |
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『髪』(日彫展日彫賞) | |
『ラウラの頭像』(インターナショナルアカデミア美術展金賞) | |
『受胎告知』(第一回高村光太郎大賞展佳作賞) | |
『白鳥讃歌』(大阪市南港緑道彫刻公募大賞) | |
『家族』(伊東市制30周年記念モニュメント) |
パブリックコレクション | 『平和の母子像』〈岩手県奥州市〉 |
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『カリヤの女』(山口県周南市) | |
『平和記念原爆犠牲者の像』(熊本県熊本市) | |
『聖家族』(神戸市六甲カトリック教会) | |
『大地から空へ』(スイス・ローザンヌ市オリンピック博物館) | |
『平田次郎の像』(香川県宇多津町制100周年) | |
『生命の樹』(北海道夕張郡由仁町駅前) | |
『あした』(東京・共同通信社「研修交流センター」) | |
『雲崗俊徳上人と太田道灌』(埼玉県川越市・長福寺) | |
『絆』(北京市・北京日本大使館) |
Information

今や伊東を、伊豆を、日本を代表する彫刻家であられる重岡先生ですが、お会いすると本当に気さくな方で、こちらの方が恐縮してしまいます。その優しい雰囲気とあたたかな作風の陰で、たゆまぬ努力をされ、強靭な意思と体力で精力的に制作活動を続けていらっしゃることを思うと、頭を下げずにはおれません。先生と同じ時代に、同じ土地に暮らしていることを誇りに、私達も一歩一歩着実に人生の歩を進めたいと思います。先生の益々のご活躍をお祈りしています。
●取材・撮影:メープルハウジング ●画像、本文などの無断転用は法律により禁止されています。